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大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)2194号 判決 1989年9月27日

主文

一  被告は、原告に対し、金一五〇万円及び内金五〇万円に対する昭和五九年二月一日から、内金五〇万円に対する昭和五九年三月一日から、内金五〇万円に対する昭和五九年四月一日から各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項につき仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金九一一万四九九〇円及び内金八七三万三三三三円に対する昭和六〇年七月一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  請求棄却

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  被告は、いわゆる同族会社として、倉庫業を営む株式会社である。

2  原告は、昭和四五年一二月、被告の専務取締役に就任し、昭和五八年一二月の時点において、一か月金五〇万円の報酬を支給されていた。

3  原告は、昭和六〇年六月一四日開催の第二一期決算期(昭和六〇年三月三一日期)に関する定時株主総会をもって、取締役の任期を終了した。

4  原告は、取締役就任当初から、被告の従業員としての地位を有する。

5  よって、原告は被告に対し、取締役報酬あるいは従業員賃金として、昭和五九年一月一日から同六〇年六月一四日まで一か月金五〇万円の割合による金員合計金八七三万三三三三円及び昭和五九年一月分から同六〇年五月分までの月額金五〇万円に対する各翌月一日から昭和六〇年六月三〇日までの商事法定利率年六分の割合による遅延損害金合計金三八万一六五七円と金八七三万三三三三円に対する昭和六〇年七月一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。ただし、右報酬は、定款の定めによるものでなく、また、株主総会の決議によって定められたものでもなく、被告代表者境和義が適宜金額を決めて支払ってきたものである。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実は否認する。

5  同5は争う。

三  抗弁

1(一)  被告は、昭和五八年一〇月一五日の取締役会において、原告を常勤取締役から非常勤取締役に変更することを決議した。

(二)  被告は、昭和五九年一月一三日の取締役会において、従前原告に支給していた報酬について、昭和五九年一月一日以降は支給しないことを決議した。

(三)  被告は、昭和五九年七月一三日の第二〇回定時株主総会において、役員に対する報酬支払いに関し、境和義に年額金六〇〇万円、境朝子に同金四八〇万円を支給し、その余の役員は無報酬とすることを決議した。

2  原告と被告は、昭和五八年一〇月一二日ころ、同年一二月末をもって原告・被告間の雇用契約を終了する旨合意した。

3(一)  被告は原告に対し、昭和五八年一〇月一二日ころ、原告を解雇する旨の意思表示をした。

(二)  原告は、被告の代表取締役である境和義の指示に従わず、かつ指揮命令に従わない旨言明していたものであって、右解雇については正当の理由を有する。

四  抗弁に対する認否

1(一)  抗弁1(一)の事実は否認する。当日、取締役会の全メンバーである境和義、境朝子、三輪清次、原告が境朝子方に集まり、境和義が原告に対して「給料は払うから会社に出て来るな。」と通告したことはあるが、右は、親族会議であって取締役会ではないし、右境和義の発言に対し他の取締役は賛成していない。

(二)  同1(二)の事実は否認する。

(三)  同1(三)の事実のうち、被告が、昭和五九年七月一三日に第二〇回定時株主総会を開催したことは認めるが、原告の報酬について無報酬とする決議がなされたことは否認する。

3  同2、3の事実は否認する。

五  再抗弁

1  取締役の報酬については、任期終了前において、当該取締役の同意なしにその報酬を減額ないし無報酬とすることは許されないものであるから、前記取締役会決議及び株主総会決議は無効である。

2  被告の原告に対する解雇の意思表示は、原告が被告に貢献してきたのを被告代表者境和義が原告を嫌忌してなされたものであり、解雇権の濫用である。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1は争う。

2  同2の事実は否認する。

第三  証拠(省略)

理由

一  請求の原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。そこで抗弁1について判断する。右争いのない事実及び成立に争いのない甲第一、第二号証、第二六号証、第三〇証の一ないし五、第三一号証(原本の存在も)、乙第一ないし四号証、第九号証の一ないし四、第一〇号証の一ないし三、第一一号証の一、二、第一二号証、第一三号証の一ないし三、第一四号証の一、二、第一五号証、第一七号証ないし第二〇号証、証人鈴井玲子の証言及び右により成立を認めうる甲第三、第五、第六号証、証人三輪清次の証言、原告本人尋問の結果(第一回)及び右により成立を認めうる甲第四号証、第一四号証の一、第一五、一六号証、第二七、二八号証被告代表者本人尋問の結果及び右により成立を認めうる乙第五、六号証、第一六号証並びに弁論の全趣旨を総合すれば次のとおり認められる。

被告は亡境秀一が中心となって昭和三九年四月に設立された倉庫業等を営む、いわゆる同族会社である。亡境秀一は生前、被告の経営を同族で固め、将来も境家に承継させようと考え、境和義を後継者と目したが、境和義は病弱であり、さらに亡境秀一との折り合いが悪かったため、原告に対して被告への参加を懇請した。原告は昭和三五年亡境秀一の長女玲子と婚姻し、名古屋に本拠を置くタキヒョー株式会社に勤務していたが、亡境秀一の要請に応え、昭和四五年に被告に取締役に就任し、被告の業務全般に参画し、昭和四八年には、専務取締役となり右肩書きを付した名刺を使用した(但し、代表権の登記はなし。)。亡境秀一は昭和五五年三月三〇日に死亡したが、亡境秀一死亡当時の被告の株主構成は、亡境秀一が一万八四〇〇株(遺産分割未了)、同人の妻境朝子一万〇三〇〇株、同長男境和義九六〇〇株、亡境秀一の妹の夫三輪清次四〇〇株、亡境秀一の長女鈴井玲子の夫である原告三〇〇株、亡境秀一の姉の夫佐藤猪重二〇〇株、その他八〇〇株の合計四万株であった。なお、右鈴井玲子は被告の事務員として被告の経理事務を担当し、亡境秀一の次女勝子の夫松田裕はその後監査役となっている。亡境秀一死亡により、被告の後継者をめぐって境和義と原告とで争いとなり、結局、長男である境和義が被告の代表取締役に就任した。境和義は代表取締役就任後も病弱ぎみのため、会社には昼過ぎに出社する程度で、被告の営業を中心とした業務は原告が従事していた。なお、被告は三月決算の会社であるところ、昭和五八年六月二八日の第一九回定時株主総会で役員改選がなされ、その結果、取締役として境和義、境朝子、原告、三輪清次が、監査役として松田裕が重任された旨の総会議事録があり、登記簿上境和義が代表取締役に重任している。また、被告の定款によれば、役員の任期は就任後二年内の最終の決算期に関する定時株主総会のときまでとする旨定められており、さらに取締役の報酬は株主総会の決議をもって定める旨の規定がある。そして、株主総会議事録上は役員報酬の年額の定めが、取締役会議事録上も各取締役の報酬額について決議がなされた旨が記載されており、右決議の記載に従って各役員に報酬が支払われていたが、実情は亡境秀一の時代から代表者の一存で報酬額が定められていたものであった。そして、原告の昭和五八年度の報酬額は月額金五〇万円であった。境和義と原告との対立はしだいに表面化し、境和義は、原告が接待費を使いすぎることが面白くなく、さらに社内旅行会不参加者への会費の返還問題、亡境秀一の遺産であるゴルフ会員権の帰属をめぐる鈴井玲子と境和義間の対立等が重なったため、境和義は原告に対し、昭和五八年一〇月一一日ころ、「給料は払うから出社するな。」と通告するに至った。そのため昭和五八年一〇月一五日午後七時三〇分ころ、境朝子方に、境朝子、境和義、三輪清次、原告の四取締役と鈴井玲子、松田勝子らが参集し、前記の境和義が原告に対して通告した件並びに今後の被告の事業執行の運営について協議がなされた。席上、境和義は原告が被告での職務遂行につき強く反対し、境朝子も被告の運営について憂慮したことから原告に対し他の職への転身を勧め、境朝子個人として必要な援助をしたい旨の発言がなされた。最終的には、三輪清次から、この問題は社長である境和義に一任しようとの発言がなされた結果、境和義から、原告は今後被告出社しないことが宣せられ散会した。なお、被告では、昭和五八年一〇月一五日付の取締役会議事録が作成されており、右によれば、「出席取締役四名全員」「取締役鈴井喜代三を常勤から非常勤に変更する件」として「採決したところ取締役鈴井喜代三を除き他の取締役は全員議案に賛成した。」との記載がある(乙第五号証)。その後、原告は何度か被告に出社したが、境和義が、従業員に命じて原告の使用していた社内の机を撤去し、原告の出社に抵抗したこともあって、原告は被告に出社して業務を行なうことを中止した。なお、被告は原告に対し、昭和五八年一〇月分から一二月分の一か月金五〇万円の割合の報酬合計金一五〇万円を支払った。その後、昭和五九年一月一三日午後八時ころ、境朝子方に、境朝子、境和義、三輪清次の三取締役と監査役である松田裕とその妻松田勝子らが参集し、原告への報酬支払いの打切りに関し協議がなされた。境和義は右打切りを強く主張したため、三輪清次から社長一任の提案がなされた結果、原告への報酬については昭和五九年一月一日以降の支払いを停止する旨決せられ散会した。被告の昭和五九年一月一三日付の取締役会議事録には、右の趣旨の取締役会決議がなされた旨の記載がある(乙第六号証)。なお、右会議に先立って、原告に対し会議に出席するよう電話連絡がなされたが、原告は出席しなかったものである。その後、昭和五九年七月一三日被告の株主総会が開催され、役員に対する報酬支払いの件に関し、「境和義に年額で六〇〇万円、同境朝子に年額で四八〇万円を支給し、その余の役員は無報酬」とする旨の議案が可決された(乙一六号証)。

以上のとおり認められる。右事実のもとで原告の昭和五九年一月以降の取締役報酬請求権の有無について判断するに、被告では昭和五八年一〇月一五日の取締役会において、原告を常勤取締役から非常勤取締役に変更する旨の決議がなされ、ついで昭和五九年一月一三日、原告を無報酬とする旨の取締役会決議がなされたものと評価することができる。この点について、原告は右両日の会議は取締役会ではなく親族会議にすぎない旨主張するが、被告のような同族会社においては、取締役会が親族会議の一面を併有していたものと解するのが相当であり、右の会合が取締役会でないということはできない。ところで、取締役の報酬額は、一旦決定された後は、当該取締役の同意なくして一方的に変更し得ないのが原則であるが、常勤取締役から非常勤取締役に変更になった場合のように職務内容に変更が生じたときは、例外的に報酬額を変更することも許されると解される。したがって、原告の再抗弁1は理由がない。もっとも、その場合にも営業年度の中途で無報酬とすることは特段の事情のない限り許されないものと解される。これを本件についていえば、被告は三月期決算であるから、原告への報酬は昭和五九年四月分以降について支給しない旨定められたものというべく、被告の前記取締役会決議によっても、原告の昭和五九年一月分から同年三月分までの報酬については支払いを拒否できないものといわなければならない。したがって、右の限度で原告の請求は理由がある。

二  次に請求の原因4について判断する。

原告の被告における職務は前記認定のとおり専務取締役として被告の業務全般にわたって遂行されていたものであって従業員兼務役員という地位に留まるものではなかったというべきである。もっとも成立に争いのない甲第三四ないし第三六号証、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、被告が原告を被共済者として、昭和五〇年五月二二日、原告の退職金支払いに当てるため中小企業退職金共済事業団と退職金共済契約が締結され、原告は右事業団から昭和六二年一二月一八日ころ、退職金一一〇万六七〇一円の支払いを受けていることが認められるが、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、右手続は被告の経理担当であった原告の妻が、原告には株式配当や別収入がないことから亡境秀一の了解を得て手続をしたものであることが認められるのであり、右手続加入をもって原告が従業員兼務役員であったということはできず、他に原告が従業員兼務役員であると認めるに足りる証拠はない。

三  以上の次第で原告の本訴請求は、昭和五九年一月分から三月分まで一か月金五〇万円の割合による取締役報酬請求権とこれに対する支払期の後である各翌月一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

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